東京地方裁判所 昭和40年(刑わ)4720号 判決 1967年5月31日
理由
(罪となるべき事実)
被告人田中一郎は、有価証券の売買及び売買委託の取次等を営業とする田中証券株式会社(本店所在地東京都中央区日本橋兜町二丁目五六番地)の代表取締役副社長兼経理部長として受寄有価証券の保管を含む経理事務その他同会社の業務全般を統括していた者、被告人山本七郎は、同会社取締役株式部長(昭和三九年一〇月一七日取締役辞任)として、同会社のため所謂店頭銘柄株式の売買等に従事していた者であるが、
第一 被告人両名は共謀の上、別表その一、年月日欄記載の各日時当時、被告人田中が前記会社の営業に付随する業務として同表顧客欄記載の土井正夫外一五名の顧客から保護預りの目的で寄託を受け同人等のため業務上保管中の同表銘柄株数欄各記載の株券合計三八、二五〇株(処分時の時価合計約三、九〇八、〇〇〇円相当)を、同表年月日欄記載の各日時頃、前記会社本店等に於て、同表処分先欄記載の通り近藤文義外一名に対し擅に前記会社の借入金の担保として差入れて横領し
第二 被告人田中は、別表その二、年月日欄記載の各日時当時前記田中証券株式会社の営業に付随する業務として同表顧客欄記載の杉田清一外五四名の顧客から保護預りの目的で寄託を受けて又は信用取引、発行日取引の保証金代用として預託を受けていたが、右各取引の決済終了後のもので(後記説明参照)、以上全て同人等のため業務上保管中の同表銘柄株数欄各記載の株券合計二六六、六二五株(処分時の時価合計約二四、三五八、六〇〇円相当)を、同表年月日欄記載の各日時頃、いずれも東京都内に於て同表処分先欄記載の通り株式会社第一銀行兜町支店外五社に対し擅に前記田中証券株式会社の借入金の担保として差入れて横領し
たものである。
(証拠の標目)<省略>
(弁護人の主張に対する判断)
第一 判示第一の各事実につき、<省略>
第二 判示第二の各事実中
一、別表その二、顧客番号1、杉田清一関係の各事実につき、被告人田中の弁護人等は、当該株券は、いずれも株主名義を田中証券株式会社とし、その結果同会社のための担保としての流用を予め承諾することを条件として右杉田清一から預かつたものであるから、その担保差入は業務上横領罪を構成しないと主張し、同被告人も右趣旨に沿う弁解をしている。
右主張中、当該株券を田中証券名義とすることの合意があつた事実は、証拠上肯認できるところであるが、右合意に伴い担保流用の承諾を得たとの点は、預け主たる証人杉田清一並びに右承諾を取付けたと被告人田中が主張する証人望月計宏及び同河村武彦が、いずれもその証言に於て否定している。右杉田及び河村の各証言及び被告人田中の昭和四〇年一〇月一五日付司法警察員に対する供述調書によれば、もともと田中証券が自社名義で杉田清一の所有株券を保管したのは、同人の税金対策上の相談に応じ、純然たる顧客に対するサービスとして採つた措置であると認められ、杉田の意思としても同会社に株券の処分権迄も移転する趣旨ではなかつたと解するのが自然である。右のように会社名義とするに際し、保管係河村武彦が被告人田中に相談したのは、単なる第三者名義の保護預りと異り田中証券の名義とする以上、同社の経理に影響が及ぶことが予想されるから当然のことであり、それ以上の意味があるとは認められない。又杉田に対し預り証に代えて預り株通帳(御取引明細帳)を交付したのは、預り株の種類や株数が多いため、沢山の預り証によるよりは、一通の預り株通帳による方が便宜であつたためと認められる(被告人田中の第一回公判廷供述参照)。このことは、別表その二、顧客番号7の柏木千代子関係についても同様預り株通帳が発行せられていた事実(柏木千代子の司法警察員に対する供述調書参照)に徴し裏付られる。
従つて、杉田清一が担保流用を承諾していなかつたと認めるのが相当であり、前記主張は採用しない。
二、顧客番号、坂本康関係の各訴因について、同弁護人等は、当該株券はいずれも坂本康の信用取引又は発行日取引のための保証金代用有価証券として田中証券株式会社に差入れられたものであるところ、右代用証券差入の法律関係は消費寄託であると解すべきであり、株券の所有権は同会社に移転し、坂本は同種同量の株券の返還請求権を有するのみであるから、被告人田中が右株券を同会社のため他に担保に差入れても業務上横領罪は成立せず、仮に右保証金代用有価証券差入を質権設定と解するとしても、同会社は質権者として転質を許されているから、預託者の承諾なくしてこれを担保に流用しても業務上横領罪を構成しないと主張する。
証人坂本康の第二回証言並びに押収した発行日取引顧客勘定元帳(昭和四一年押第五〇五号の八二)及び信用取引顧客勘定元帳(同号の八三)を綜合すると、坂本康は大村満名義で昭和三九年五月二二日発行日取引を行ない、同年六月三日右取引を終結し、右大村及び白川美枝名義で、同年五月一三日信用取引を行ない、同年六月二六日右取引を終結し、いずれも坂本の損勘定となつたことが認められ、且つ右証言によれば同人はその後間もなく右各取引の清算をしたことが窺われる。被告人田中は、当公判廷に於て、前記各訴因掲記の株券はいずれも右各取引の保証金代用有価証券である旨供述しているところ、当該各株券中、日本信販二、〇〇〇株(別表その二、事実番号18の分)は右清算終了後の同年一二月八日保護預りのため寄託されたことが、前示受入保証金代用有価証券明細簿カード(前同押号の七一)の白川美枝分及び預り証控元帳(同号の八五)の内容並びに被告人田中の第十五回公判廷に於る供述により明らかであるけれども、爾余の分(但し、主文で無罪を言い渡した分を除く。)については、右被告人の供述を一概に排斥するに足りる証拠はないので、一応右各取引の保証金代用に使用されたものと認められる。
右弁護人等は、保証金代用有価証券差入の法律的性質は消費寄託であると主張するけれども、それが債権担保である性質及び証券取引法第五一条、証券取引法第四九条に規定する取引及びその保証金に関する省令第三条、第六条等の厳格な法的規制のあることに鑑み、又山田博章の検察官及び司法警察員に対する各供述調書の記載により認められる、当時田中証券株式会社の所属していた東京証券業協会に於る株券預託に関する規制方法(即ち消費寄託の場合顧客との間に作成手交さるべき証書は、証券取引所法五一条一項の同意書とは、明らかに形式内容を異にしている。)に照らし、株式に対する根担保質権の設定と解するのが相当である(昭和四一年九月六日最高裁判所第三小法廷決定刑集二〇巻七五九頁参照。同決定にいう根担保質権というのは、その設定当時即ち信用取引(発行日取引を含む、以下同じ)開始当時においては、その取引について将来の手じまい時において顧客に対しいかなる損益が生ずるか不明であり、従つて終局的な被担保債権の金額が具体的に確定していないという趣旨に於てであると解する。しかし、右の被担保債権の範囲は、当該保証金代用有価証券を差入れた特定の信用取引から生じたものに限られ、信用取引口座設定契約により、顧客が現に行ない又は将来行なうべき信用取引全部から生ずる債権全体を対象とするような包括的な担保権が成立するものでないことは、前記省令第三条、第六条が、各個の信用取引とその保証金(代用有価証券を含む。)との対応関係を厳密に規定していることからみても、明らかである。)
坂本康が右各取引のため差入れたと認められる白川美枝及び大村満名義各信用取引口座設定約諾書(前同押号の八一に編綴)第一一条並びに同じく大村満名義発行日決済取引の委託についての約諾書(同号の八〇に編綴)第二項記載の保証金代用有価証券は同一の銘柄数量のもので返還できる旨の文言は、証券取引の大量迅速性や証券の代替性に鑑み、根担保質権消滅に伴う証券会社の株券返還義務につき予め本来の給付に代えた履行方法(尤もこの場合においても、預託株券の名義が顧客名義の時は、返還すべき株券の名義も顧客名義に名義書換の上、返還すべきであろう。)を特約してその責任の軽減をはかる趣旨であると解され、前記判断に抵触するものではない。
してみると、保証金代用有価証券の担保の対象である特定の発行日取引又は信用取引が終了し、顧客に利益を生ずるか又は顧客が損金を清算して証券会社の債権が消滅したばあいには、当然証券会社が代用証券上に有していた根担保質権も消滅し、証券会社は以後右証券を、新らたな信用取引、発行日取引の建玉があつたばあいの外、専ら顧客のために、その返還請求があり次第何時にても返還可能な状態で、換言すれば一般の保護預りと類似の状態で占有保管すべき筋合である。本件に於ては、前示の通り、坂本康の建玉は、昭和三九年六月二六日にすべて手じまいとなり、その後間もなくその清算も了しているのであるから、その頃には田中証券株式会社が坂本の差入れた保証金代用有価証券につき有していた根担保質権が消滅したと認むべきところ、前掲受入代用有価証券明細簿カード(前記押号の七一)、倉谷良之助、吉野国雄、武蔵清及び田中義三郎作成の各回答書並びに検察官作成の電話聴取書に徴すると、前記株券中、中国工業三、〇〇〇株、相模ゴム一、〇〇〇株及び東京重機四、五〇〇株(昭和四〇年一〇月二一日付追起訴状別紙その二、3の一行目、五行目及び七行目の分)を被告人田中が他に担保に差入れたのは、それぞれ昭和三九年六月二四日又は同月二七日であつて、前記清算終了前即ち根担保質権存続中の処分である疑が残るけれども、爾余の株券(別表その二、事実番号15、16、17)の処分日時は判示の通りすべて根担保質権消滅後の同年九月二五日以降でありかつ右消滅後新らたな信用取引、発行日取引のなされた形跡がないから、右処分当時の同被告人の株券占有の態様は、一般の保護預りと類似の関係にあつたもの、と認めるのが相当である。
よつて前記三銘柄八、五〇〇株について後記の通り犯罪の証明不充分と認めるが、爾余の株券(別表その二、事実番号15乃至18)についての前記主張は採用の限りでない。
三、別表その二、事実番号11乃至14、20、22乃至24、26、28、29、35乃至38、43、46乃至49、53乃至59、65、67乃至73、79、78乃至82、86、88乃至92、98、100、103、105、111、112、114、115、117、120乃至122、125乃至127、130、131、133、136、137、139、141、142、144、及び146乃至149の各事実につき、同弁護人等は、当該各株券については判示の各日時に先立ち別に担保差入処分したものを取戻した上判示各処分行為に及んだものであつて、先行の処分行為時に既に業務上横領罪が成立しているとみるべきであるから、同罪の状態犯たるの性質に鑑み、同一株券に対する判示処分行為はいずれも不可罰的事後処分であるに過ぎず、犯罪を構成しないと主張する。そして、右主張の通り、前記各記載と同一株券につき、先行の処分行為が存在することは証拠上肯認できるところである。
よつて按ずるに、本件の如く保護預り株券の受寄者が、数次に亘り同一株券の担保差入、受戻を繰返している場合、最初の処分行為により業務上横領罪が成立することは論を俟たないが、そのことは当然に受寄者の株券保管義務を消滅させるわけではなく、何等かの理由により当初の寄託契約が解消又は変更されない限り、受寄者に於て一旦他に担保に差入れた株券を受戻し再び占有を取得した暁には、右契約に基づき寄託者のためこれを保管すべきものであること先行の処分行為以前の状態と同一の法律関係にあるから、受戻後は寄託者の株券所有権に対する侵害の状態は回復され、刑法上受寄者の業務上占有の地位が復活すると解するのが相当である。されば、受戻後重ねて他に担保に差入れる行為は、担保株券を受戻さないで担保差入の状態のままこれを担保債権に売却する等の場合と異り、もはや先行の業務上横領罪によつて評価される範囲を超えた、新たな寄託者の所有権侵害行為であつて、別個の業務上横領罪を構成するといわなければならない。
よつて、右各事実が不可罰的事後処分に該るとの見解は是認できない。
(法令の適用)<省略>
(一部無罪の理由等)
被告人田中に対する公訴事実中、
(イ) 昭和四〇年一〇月二一日付追起訴状別紙犯罪一覧表その二、番号3第二行目記載事実の要旨は、同被告人は昭和三八年一〇月二四日頃坂本康より保護領りの目的で中国工業一、〇〇〇株を預り業務上保管中、昭和三九年八月四日頃日本証券代行株式会社に対し擅に右株券を田中証券株式会社の借入金の担保として差入れ、以て横領したというにあり、
(ロ) 同表番号14第二行目記載事実の要旨は、同被告人は昭和三八年七月一一日頃宮崎太郎より保護預りの目的で小松株五〇〇株を預り業務上保管中、同年一二月二一日日本証券金融株式会社に対し前同様借入金の担保として差入れ、以て横領したというにあるが、
受入保証金代用有価証券明細簿カード(昭和四一年押第五〇五号の七一)中の白川美枝、大村満(以上坂本康の使用名義)及び宮崎太郎分には、右各担保差入の日時及び差入先に照応する記載がなく、他に前記各横領行為の存在を認定すべき証拠もない。尤も右白川分カード二枚目七行目には昭和三九年八月八日、日本証券代行株式会社に中国工業新株一、五〇〇株差入を意味すると思われる記載があるが、右白川分カード一枚目一〇行目及び大村分カード一枚目一〇行目の各記載並びに倉谷良之助作成の回答書添付の担保有価証券受渡帳写一四枚目末行の記載に徴すると、前記(イ)掲記の株券は昭和三八年一〇月二四日から昭和三九年九月二五日までの間第一銀行兜町支店に差入れられた一、五〇〇株の内の一、〇〇〇株であつて、前記日本証券代行株式会社に差入の株とは別個のものと認めるのが相当である。
よつて右(イ)(ロ)の各訴因については、犯罪の証明がないから、刑事訴訟法第三三六条に則り被告人田中に対し無罪の言渡をする。
なお、同被告人に対する公訴事実中、前同表記載の
(一) 番号3の坂本康より保護預り中の株券の内
(イ) 第一行目、中国工業三、〇〇〇株を昭和三九年六月二四日
(ロ) 第五行目、相模ゴム一、〇〇〇株を同月二七日
(ハ) 第七行目、東京重機四、五〇〇株を同日
それぞれ擅に日本証券代行株式会社に借入金担保として差入れ横領したとの各訴因については、前記弁護人の主張に対する判断第二の二に於て説示の通り、右処分日時当時は右三銘柄八、五〇〇株についてはなお根担保質権存続中であつた疑があり、果して然らば田中証券株式会社は根担保質権者として一定の範囲内で他に担保に差入れる権限を有していたこととなるが、右各処分行為がその権限を逸脱したものであることを認めるべき充分な証拠はなく、
(二) 番号22の梅田豊より保護預り中のラサ工業一、〇〇〇株を同年一〇月九日擅に第一銀行に借入金担保として差入れ横領したとの訴因については、証人梅田豊の当公判廷に於る供述に照らし寄託者の代理人長根五郎の承諾を得て担保差入処分したことが明らかであり、
(三) 番号35の佐藤徳善より保護預り中の株券の内第二行目東邦アセチレン一、〇〇〇株を同年一二月九日擅に日本証券代行株式会社に借入金担保として差入れ横領したとの訴因については、佐藤徳善の司法警察員に対する供述調書並びに押収した同人名義の右銘柄預り証(昭和四一年押第五〇五号の四一の内番号五二一三一)、保護預り有価証券明細簿カード(同号の七〇)及び受入保証金代用有価証券明細簿カード(同号の七一)の各佐藤徳善分の右銘柄に関する部分は、預り証番号の同一なるにかかわらず株数の記載に齟齬があつて、訴因掲記の銘柄株数を保護預りした事実を認めるに足りず、
結局右各訴因はいずれも犯罪の証明なきに帰するのであるが、右(一)の(イ)は別表その二、事実番号37及び70と、(ロ)及び(ハ)は同69と、(二)は同32と、(三)は同43及び105といずれも観念的競合の関係にあるものとして起訴されたものと認められるから、主文に於て特に無罪の言渡をしない。(足立勝義 諸富吉嗣 加藤隆一郎)